FELISSIMO フェリシモ採用情報

2019.01.21BLOG ひとつひとつの積み重ね

こんにちは!
フェリシモ採用担当のあずまです。

本日は、1月17日に24年を迎えた阪神淡路大震災について、社内向けに広報担当が執筆したメッセージを紹介いたします。この記事を見て私たちの役割を思い、奮い立ちました。ぜひ紹介させてください。


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おはようございます。
阪神・淡路大震災が起こり、今日で24年となりました。
フェリシモが神戸に引越しをしたのは震災のあった95年の9月。それからフェリシモにも沢山の仲間たちが増えました。震災後生まれの方もいらっしゃいます。
改めて当時のことをお伝えしましょう。


●震災が起こった当時の会社のこと。
当時は、本社の一部が梅田にあり、ほとんどの人が千里のオフィスにいました。
94年の年末に神戸に引越しをする発表があり、2月に移転する準備をしていたとき、震災が起こりました。まず最初にしたことは、従業員・お取引先・お客さまの安否確認でした。残念ながらお亡くなりになられているお客さまもいらっしゃいました。また、震災支援をどうするのか? そのほかのお客さまに対してどうするのかを考えました。この2本柱で考える方法は、東日本大震災の時にもいかされました。


●現地の神戸でおこなったこと。
写真はほとんど唯一残っている当時の写真です。退職されたエパーソンさんも写っています。携帯電話があまり普及していなかった当時、無線連盟の方々の協力のもと避難所のリアルな情報を得てフェリシモ従業員が支援物資を運んでいるところです。そのほかにも運送会社さまやお取引先を通じて物資提供をしたり、お休みの日にはボランティアをするなど、できることからしていました。

●神戸移転について
情報もネットワークもまだない時でしたが、早い段階から「神戸への移転はやめない」と決めていました。そして、神戸に引っ越しを行う前日にひとりひとりに社長からこんなメッセージが送られました。「神戸への引越しを、21世紀への引越しだと思おう!」と。
ひとりひとりががんばる気持ちになっていました。


●震災から始まったプロジェクト「もっと ずっと きっと」
震災の直後、全国の多くのお客さまからフェリシモに対してご心配のお声をいただいたり、神戸のために何かをして欲しいとお金を託されたり、「おつりはいらない」と多目にお振込みをいただいたりしました。そのようなお客さまの思いを受けて、スタートしたのが「もっと ずっと きっと」という活動の報告書で3月から配布されました。「毎月100円義援金」の呼びかけ、またサンタ基金つき商品を販売、ご提案の募集(サンタ基金を利用した復興のためのプロジェクトのご提案・100円義援金の今後の使途のご提案など)そしてお客さまから被災地へのメッセージ、被災地の方々からのメッセージなども掲載されています。震災1ヵ月後にはすでに3000万円の義援金が寄せられているとの報告がされています。


こんな支援をしました、という報告だけではない、被災地で今何が起こっているのかというレポートを神戸在住のフォトジャーナリストの冨安大輔さんや、看護士の故・黒田裕子さんに書いていただきました。
また、お客さまからのご提案によって始まった「書き損じハガキ」や「ベルマーク・古切手」集めなども積極的に行い1999年末時点で1150万円分も集まりました。100円義援金も、6年間で4億円を超えました。


●震災から始まったプロジェクト『神戸カタログ』・『神戸学校』『ハッピートイズプロジェクト』
神戸の方々や、神戸を愛する方々と一緒にフェリシモらしく、神戸のためにできることは何か? と考え「MADE IN KOBE」のものを集めた1冊まるごと神戸の元気を応援する『神戸カタログ』を11月に発刊しました。震災によってお店を無くされた方々に、フェリシモのカタログを売り場として活用いただこう! というものです。売り上げの一部は「アート・エイド・神戸」という阪神間の芸術家が神戸の文化を護るために結成した活動に寄付をしました。お客さまとの継続的な関係性があってこそ、実現したことばかりです。「事業性・独創性・社会性」については震災前からも言われていましたが、より一層リアルに実現ができたのはこの時からでした。97年には『神戸学校』や『ハッピートイズプロジェクト』など象徴的な活動もスタートしました。


●その後の支援活動
100円義援金は、当時被災地に指定された10市10町を対象に活用されました。そして2003年、義援金の残資を原資に
「KOBE HYOGO2005」プロジェクトを立ち上げました。被災地を元気にする40歳以下の若者を対象に、最高300万円上限でプロジェクト支援するという企画です。
「KOBE HYOGO2005」は2期で40のプロジェクトを助成しました。このプロジェクトを多くの方に知っていただくためにフェリシモは10市10町を回って市役所・区役所、役場の復興担当者やNPOの代表者のみなさんに会いに行きました。その時のつながりが、阪神間でがんばる若者たちを含めて今も生きています。また、神戸を舞台に活躍する錚々たるメンバーに選考委員を務めていただくなどのつながりが生まれました。震災後10年の神戸市震災復興10年目の会議にフェリシモが出席をさせていただくなど神戸の企業として認知いただけるところまで行きました。


●震災を経験して変化したこと
フェリシモが社会的企業であること、そしてその可能性の広がりを改めて確信できたのは、震災の経験があったからかもしれません。お客さまと一緒に何かを行うことが格段に多くなりました。
「神戸に来ることを決めていなかったら、私たちはまったく違う会社になっていただろう」と社長もおっしゃっています。震災の経験はフェリシモの新しい可能性に気づかせてくれたということです。


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私たちの「ともにしあわせになるしあわせ」という理念や価値観はゆるがないものです。阪神・淡路大震災の日をきっかけに、改めてそれを深く理解し、今日からもさらに活動を高次化してまいりましょう。


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私たちにしかできないことがあると信じていますし、多くの想いが集まれば叶えられるアクションがあるということをフェリシモは体感してきました。
これからもひとつひとつ、できることを積み重ね、実現したい未来を目指してまいります!